越南之風 ーベトベト戦なのにグチョグチョ?越南派遣人参軍かく戦えり 
2007/10/28 (後編)



2007年10月28日 茨城県守谷地区ベトベトフィールド
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Episode5 歩兵砲、初戦果!
さて、半分藪漕ぎに近い状態で道無き道を切り開きつつ前進を続けた我々の前方では、遠く近くに発砲音が聞こえ始めた。
どうやら第一・第二分隊の先鋒と敵偵察隊の接触がそこかしこで発生している模様だ。
とはいえブッシュが濃いので、中々敵の姿を見るのは難しい。ただどう頑張っても消せない足音とその移動方向からある程度推測をつけて、運良く抜ける弾があればもうけモン程度に発砲しているのではないかと思われた。

そんな矢先、砲を抱えて前進を続ける我々の前方にも対向して来る足音が。おっいよいよお出ましか!?
我々は直ちに移動を停止、現地点に砲を展開し砲撃準備を整えた。しかし大砲よりは小銃の方が当然ながら対応が早い。
敵方からは既に発砲が開始され、小銃を携帯せる我が同志達も砲の警護と前方偵察の為に砲と私を跳躍して前に出る。
厚いブッシュによって、敵の姿も見えないし弾もまるで届いては来ない。ただ物音を聞いてはその方向に撃ちまくっている様で、敵の発砲音は断続的に継続していた。

ようやく砲撃準備が完了、先ほど銃声のした方向に角度調整を行うと、いよいよ初弾発射!

「バスゥーン」

一瞬静まる戦場。ただし中空に舞った弾は風に流され、着弾地点は想定よりだいぶ左にずれてしまった。
直ちに次弾発射の用意。15度程右に砲口を転じ、第二発が轟音と共に飛ぶ!
方位良し、ただし着弾は予定より手前である事が観測された。
今度は傾斜角を10度ほど前傾させ、第三弾を込める。この日用意出来たモスカートは3発な為、これが終わると次弾準備までは少々時間を要する事になる。
とはいえ、「兵は拙速なるを尊ぶ」の喩え通り、ここでケチらずまず可能な限りの反撃を行うべく即座に第三弾を撃ち出した。
3度轟く砲声。蒼天高く飛翔する白弾。
3ー4秒の間をおいて、ブッシュの向こうより「衛生兵ー!」の声が響き渡る命中だ!

かくして我が歩兵砲の初戦果は米帝の頭上に降り注ぎ、彼らの前進を頓挫させたのであった。
負傷した傀儡の犬を救うべく出てくるであろう敵援兵を討つべく、同志達が前進する中を私は現地点で瓦斯・弾をモスカートに装填し次の発砲を準備する。
敵は我が軍の勢いに押され前進は止まったものの、仲間を救うために後退も出来ない状況であった。私もその後準備した3発を使い切り、今度は念の為5m程下がってモスカートの用意。
3発の砲撃準備が出来たら再度砲陣地へ前進して砲撃、撃ち終わるとまた後退して装填、を何度か繰り返していた時、味方伝令が「敵の一部が我が方側面への移動を開始、当地は危険なので急ぎ下がられたし」との情報を伝えに来た。我々は布陣時の体制そのままに、砲を先頭に同志達が後方&側面を警戒しつつ一気に後退。
ところが敵の迂回部隊もほぼ同等の速度で平行に移動しており、途中でばったり鉢合わせして壮絶なフルオートの応射を受けてしまった。
出会い頭の近接先頭では砲に分が悪い事は明白。私は敵を認識するとすぐに脇のブッシュに飛び込んだが間に合わず、敵弾を受けてしまった。

やむなく戦死者として、砲と共に本部(兼セーフティ)へと下がる。
 

Episode6 人参軍、最初の米軍捕虜を確保
折角セーフティに戻って来たのでガス・BB弾の状況を確認したところ、弾はまだ十分あるもののガスの方が既に1缶の大半を使ってしまっていた。
全て使い切ってしまうと我がモーゼルの運用に支障を来たす為、名残は惜しいが砲を分解収納し、これより歩兵部隊として参戦、のつもりで装備を交換し準備をしていたところ、同志金子と同志イノウエが見慣れぬ顔と共に帰ってきた。

「この人は誰?」

「捕虜です。我々の進撃ルートに負傷して横たわっていたので連行しました」

捕虜ルールについても事前に聞いてはいたが、よもや開始後さほどの時間も経っていないのにお目にかかれるとは思わなかった。ましてやこの捕虜は北越南陣営にとって初の捕虜!それを我が人参軍の面々が確保して来たのである。
勿論南側陣営にとっても初めて捕虜になった訳で、これから何をされるのかと不安と恐怖で4文字単語を連発して猛り狂っている。

「どう扱ったら良いんでしょうかねえ・・・」
「かつて中共政府はソ連に捕まって護送されて来た偽満州国皇帝・溥儀を処刑するのではなく根気強く再教育して、善良な一市民とした故事がある。我々も恩徳を以って彼の心に訴えよう」
「なるほど。我が主席の寛大な御心に感服致しました。米帝の暴に対するに我々は徳をもって迎え、大義を示してやりましょう

という訳で方針が決定し、座らせた捕虜に人参軍厨房部とっておき、自家製の烏龍茶を水筒から引き抜いたカップに並々と注ぎ飲ませてやった。
一気に飲み干す。さすがに処刑する相手だったらお茶など出さないだろうと安心し、ようやく人心地ついたようだ。

落ち着いてきたところで通訳を交えひとしきり世間話など。すっかり打ち解けてきた頃には結構な時間が経っていた。

ホーおじさんの肖像画を持って記念写真に応じるなど、すっかり敵意の無くなった捕虜ではあるが、まあいつまでこうしていても仕方あるまい、という事で彼の改心した様子を見て取った我々は郷里に帰してやる事とした。
折角だから何か土産でも、と思ったがあいにく最前線の事とて持たせてやるような物もない。
「これは如何ですか」と同志イノウエが彼の雑嚢から反米越南支援ポスターを取り出した。
「おお、それは良い。3種類あるので好きなのを選びなさい」
悩んだ末に彼は1枚を選択した。
それ以外のポスターをしまうと我々は再度武装し、敵との接触地点方面へと進む。実はこの辺の農民は凶暴で、うっかり米帝の犬が見つかったりしようものならどんな仕打ちを受けるかわかったものではないので我々が護衛をしていく事にしたのだ。

彼は道すがら
「オレ寝返っちゃおうかな。でもクニには家族も友達も待っているし・・・」とだいぶ苦悩していた模様であった。
とりあえず前線の軍事分界点まで到達。此処から先は逆に我々が危険なのでここで分かれた。
足取りかろやかに自軍陣地に帰っていった彼がどうなったか、その後は定かではないが我々が持たせたポスターには広げると白い煙が出てお爺さんになったりするギミックは無いので心配しないように。
 

Episode7 村奪回!紅中兵突入一番旗
さて、彼の帰還が呼び水となったのか、その後は米兵で捕虜になる者が続出した。我々とは異なり越南兵は拳銃(ピストル)や現ナマ(ピアストル)を使った強引な尋問を実施、これにより米帝の配置や攻撃意図がおぼろげながらわかって来た。

この時点で、我が方の戦略的撤退により村は米帝とその傀儡により占領されていたが、越南軍指導部はこの村を中心に集結せる敵軍を痛打し一気に戦線を押し戻す作戦を立案、我々は村を半包囲する様な形でその外周に展開して機を待った。
各地に広く展開して戦っていた越南兵が続々と呼び戻されてその配置に加わる。

どうやら午前中最大の攻勢が行われる模様であった。
私は拳銃(モーゼル)により片手の自由が利く事から、金星二色旗(解放戦線旗)を携えてこの戦列に参加した。敵陣突入の際には旗を押し立てて越南の同志達を導かんとした為である。

ようやく、時は満ちた。いよいよ一斉蜂起だ!
突撃は3度に渡って行われた。最初の突撃は敵側にとって全くの奇襲、村にいた敵兵はこれで村の端まで追いやられた。

しかし村の外に展開していた敵兵が反撃を始め、すかさず2度目の突撃がかかる。我々は多数の被害を出しながらも米帝を村の外に押し出した。

しかしまだ周辺に留まり、機を見て反撃をしようと春動している。ここでダメ押し3度目の突撃

度重なる突撃によって残った兵は僅かであったが、我々は勇猛果敢に突進した。駆けて行く途中で敵弾を浴び次々と斃れていくが、敵へと向う足は怯む事なく前へ前へと同志達の屍を乗り越えて進んでいった。
米帝とその傀儡は3波に渡るこの攻勢によって遂に敗走、村の周辺から一掃された。

この時、第3回攻勢の後ブッシュに入ってモーゼルの弾倉交換をしていた私のところに政治指導員同志が来て、言った。

「村内の敵兵は掃討されました。今です!その旗を村に掲げ占領を高らかに宣言して下さい」

承知!
私はすぐに金星二色旗を頭上高く掲げ、村内を敵の逃げていった端まで一気に駆け抜けた。確かに反撃はない。
村の出口手前まで行って、私は大声で叫んだ。

「村を奪回したぞー!我々の大勝利だ!」

するとそこかしこからバラバラと生き残りの越南同志達が立ち上がり、村に集まって来た。
3度の突撃で損耗し、おそらく30名は超えていなかっただろう。しかも半数が黒パジャマの農民であった。
どこかの部隊では中隊長が勝利宣言を出して士気を鼓舞していたが、我々の戦意は言うまでも無くこの大勝利に高揚していた。

その後、一部部隊は追撃に追撃に移り別の一部は周辺で生存者の確認と部隊の掌握を、また別の部隊は再編成の為後退を行うなどに入り、農民を残して我々は一旦村を後にしたのであった。
 

Episode8 昼飯時も戦いは止まず(増水と)
我が人参軍は兵及び弾薬の損耗激しかった為、一旦本部陣地へ戻りそれらの補充を行っていた。

「そういえばもうすぐお昼ですね。昼食はどうなるんだろう」
「確か昼休憩は1時間位予定されてたんじゃなかったかな」

そんな話をしていた時、政治指導員同志の布告があった。

「増水による対処などでゲーム開始が遅れた為、昼食休憩はいれません。戦闘はそのまま継続としますので各自交代で昼食を取って下さい」

となると、周辺警戒をしながら調理をしないとならない。我々は戦闘糧食ではないので飯が出来るまでにそれなりの時間を要するのだ。
しかし、本部周辺の様子を探ったが敵の接近及び近隣での戦闘は発生していない様だ。また、本部陣地に居残っている他の部隊も若干名でしかないところを見ると、大多数の同志は中間或いは敵陣寄りで戦闘を継続しているものと判断される。

ということは、後々他の部隊と交代する為にも我々は今食事を取ってしまおう、という事でそのまま厨房部活動を開始した。
どうなるかわからなかったので普段の飯盒炊爨は避け、この日のメニューは簡単に作れる人参軍オリジナルあんかけやきそばとしていた。
以前3人で4人前を作ったがやや不足気味の様であったので今回は1人当り2人前を用意したのであったが、午前中の激しい戦闘で皆消耗していたのかペロリと平らげ食後のお茶菓子など頂いていると、政治指導員同志が来て言った。

「川の増水は未だ増え続けており、このままだと本部付近も水没の恐れがあります。念の為お食事が終わったら更なる高台へと移動して下さい」

この時の水位はまだ我々の本営からは道1つ隔てた程度のところであったが、それでも確かに朝のうちと比べると増えている事は間違いなかった。
かくして我々は食事後の片付けと同時に荷物を纏め、河川敷斜面のかなり上の方まで本営の移動を行ったのであった。
 

Episode9 一番の敵は農民だった?
荷物類も安全となったところで、各員装備を整え再び戦場へ向う。
ところが、戦場を南北分界線当たりまで進んでもほとんど戦闘の行われている様子がない。

「・・・?」

進攻ルートのずっと右手側には、戦闘エリア外となるが平行した道路があり参加者の車が延々と停められている。どちらかというとそちらの方が賑やかな模様だ。

「もしかして敵味方ともフィールドを離れてそっちの方でしっかり昼休み体制に入ってしまっているのでは?」
「どうやらその様だね。有力な友軍と連携も出来ずまた敵本陣に殴り込みをかけてもヘタしたら誰もいないかも知れない。こんな状況で我々だけ頑張っても虚しいので、一旦本部に戻り実質的な昼休憩の終了を待って再度戦闘に参加しよう」

かくして戦場の偵察の後、川べりに出て水位の状況を確認した後に我々は本部へと帰投した。

ちょうど休憩がてら、ここで越南農民について述べよう。
我が優越なる中華民族と異なり、ここ越南の農民は素行が悪く閉口した。
前線で負傷し帰還する兵達が村を通り抜けようとすると通行税を要求してくる。
私は知り合いのラオ人に会ったので顔パスで許してもらったが、他の同志達も賄賂を求められたりタバコを求められたりして、言葉の分からない振りをしたり愛想笑いでごまかしたりして、どうにかこうにか突破してきたそうである。
我々は彼らの民族独立を支援しに来た筈なのにドウナッテルノ?と思っていたら、同族である越南兵達も群がる農民にありったけむしり取られていたらしい。かわいそうに・・・
また、連行された捕虜は村を通過する際に罵声を浴びせられたりツバをかけられそうになったりと散々な目に遭ったという噂を聞いた。
(我々は村の外で捕虜を捕まえたので、この災厄からは逃れる事が出来た)

まあ彼らの場合、土地に縛られざるを得ないから他所から来る奴は皆招かれざる客という事なんだろう。
という訳で、実は我々は敵よりも越南兵よりも黒服農民を警戒していたのであった。頼むよホーおじさん!
 

Episode10 独立達成まで休みなし
さて、我々が本部陣地に戻って来た頃にはぼちぼち昼食を終えた越南同志達も戻り始めており、また川べりの方では小戦闘も行われている模様であった。
我々は浸透して来る敵を迎撃するつもりで陣地南方に移動、前進を開始したところへ伝令が駆け込んで来た。

「敵ヘリコプター部隊の進攻をキャッチ!移動方向からして北側より本部を直接強襲に来る模様!機動可能な同志は急ぎ迎撃に回れ!」

これは大変だ、我々も大急ぎで転進し予想着陸地点方面へと向った。既に激しい銃声が聞こえている。
到着した時、駆けつけた越南兵は僅かで大半は農民だった。だが、敵の姿は無い。
聞くと、待ち構えた越南部隊はヘリの着陸と同時に猛射を開始、降下した米帝の犬共をその場で1兵残らず殲滅し、ヘリも虚しく引き上げていったという。

流石に農民とはいえAK47が主装備だから、着陸地点に待ち伏せされたら如何に米軍とてひとたまりも無かったのだろう。
しかし、我々がこうして右往左往している間に、米帝のLRP(長距離偵察部隊)は陸路を複数ルートより越南本部に向け侵攻しつつあった。

私は北側ルートに春動する数名の米帝を発見、同志達と共に手近な茂みを利用して迎撃体制に入る。と後方からは
「南側から敵の侵攻あり!手の空く同志は迎撃に向ってくれ!」
という伝令の声が。ここを空にしてしまうと米帝の進出を許してしまうのだが、こちらの敵は数名である事が伺えたので私は自分1人残って他の人参軍同志達を南方の防衛に派遣した。
茂みに潜みセミオートガスガンで散発的に行った銃撃が、スナイパーと思われたのだろう(よくある事なので)。敵を1人倒すと奴らは負傷した仲間を抱えて撤退していった。

私はその後もしばらく様子を伺ったが、このルート付近には他の米帝と傀儡軍はいない様であったので同志達と合流すべく南方へ下がる。
が、行ってみるとこちらも既に十分な数の友軍ががっちり迎撃しており、戦力的優位が崩される事は無い。
では側面から叩いてみよう、という事で中央寄りのルートを進んだところ、敵と鉢合わせ!すかさず偶発的戦闘が開始される。
米帝と傀儡は小銃であっても全自動火器をほぼ完全に配備している。一方の我々人参解放軍はAK1丁とボルトアクションライフル、ガス拳銃である。
3名一体となった連携に加え、友軍越南部隊の支援もありでようやく敵部隊を押さえる事が出来たが、この時ばかりは私も友邦国からの貸与品であるトンプソンを持参すれば良かったかと思ったのであった。

そんなこんなで北へ南へ中央へと、敵味方を繋ぐルートのほぼ全てで我々は戦闘を行った様に思う。
何でこんなに忙しかったかというと、どうも午後のゲームは参加者達に疲れが見え、実際に戦闘に参加していた人数はもしかすると半分程度だったかも知れないからだ。

どこのセーフティ見ても誰かしらが休んでおり、中には部隊単位で休みっぱなしのところも。
そんな中でも我が人参解放軍は死亡と弾薬補給以外にはセーフティに立ち寄らず、休憩者により手薄となった防衛線を北へ南へと転戦しつつずっと戦い続けていたのであった。

確かに真面目にやったら数時間出ずっぱり戦いっぱなしだからバテ気味になるのも理解できるところではあるが、我々は川越NWさんの「HG戦」にて長時間の継続戦闘を鍛えていたのでメンバー全員が本当に休み無く「常在戦場」で戦い続けた。
敵を探し、撃ち、追う。そして次の敵を・・・
これが繰り返し延々と続く訳だが、楽しくてしょうがない。
ベトナムがどうとかシチュエーションがどうとかは途中、どうでも良くなっていた。
やっぱ我々は根っからのゲーマーだな、と感じたし、このイベントがもしガチガチのヒストリカル系だったらイロイロうざったくなっていたかも知れない。

そういう点では今回の参戦は実り多き成功であった。
 

Episode11 挺身隊、進路サイゴンへ
さて、戦闘はまだまだ続いている。
中部ルートで敵の迎撃を行いこれを撃退した我々は、逃げた敵を追撃してその後を追った。

勝手知ったる道を自軍地域に戻る敵の退却は早く、我々は他の敵を警戒しながらの追跡となるので中々追いつけない。
気が付けば敵の支配地域側へかなり進出して来ていた。途中脱落・迷子になった友軍も多々おり、この時点で周りを見ると僅かに我が人参軍3名と越南同志1名だけ残っていたのであった。

思えば午前中よりずっと、人数的な不利もあってか北越南側は攻め込まれてこれを迎撃、というパターンが多かった様に思う。しかし今、我々は軍事分界線を超越し明らかに敵地深く進出している筈なのだが、周囲に敵の気配はない。
前方を仰ぎ見れば敵本部「サイゴン」がその下にあるという橋げたがかなり近くに望見される。

この静けさは一体、敵側に何が起きているというのか。しかし、ここまで来たらかの「テト攻勢」よろしく敵本拠地に奇襲をかけてその心胆を寒からしめるのが戦場の華というものだろう。
敵の配備が皆無という事は100名を越す人数から考えても考えにくい以上、万に1つもサイゴン占領は無いだろう。それでも「首都に肉薄奇襲をかけた北越南勢力特殊部隊」として歴史に名を残す事が出来るかも知れない。

私は現有兵力による挺身攻撃を決意し、歩を敵本拠たるサイゴンへと進めた。

周囲に警戒する為、各員が適度に散開して各々の進行方向に注意を払いつつ進んで行く。
目印の橋げたが目前の位置まで進出した時、右側を進んでいた同志から注進!

「右舗装路上が騒がしく、どうやら路上に大部隊が終結している模様です!」

ブッシュを利用して敵に発見されない様に接近し様子を伺うと確かに、ちょっとやそっとの分遣隊なんて規模ではなく敵の総員が狭い道路に充満し、何かを待っている様であった。
100名を越すといわれたその人数は延々と道路上に長蛇の列をなして集結、どこまで続いているのかも窺い知れない状況だ。

「これは・・・米帝とその傀儡が全軍を挙げて総攻撃を準備しているのでは?」

うむ、まさしくそれに違いない。
という事であれば、もぬけの殻のサイゴンに突入するよりも総攻撃中の敵を背後から突き崩して我が挺身隊の武威を示すべきであろう。
120対4。戦力比にして30倍である。更に手持ち火器の性能まで考慮した場合、ボルトアクションやハンドガンが半数の我々はほぼ全員が電動フルオートの敵兵と比較するとこの比率は倍にもなるであろう。
60対1

拉孟、騰越の国府軍対日本軍守備隊が確かこの位だったと思う。流石は大人数が参加するイベントならでは、普段ではどうやっても実現不能な圧倒的状況である。

だが、我々はこの類稀なる機会を喜びこそすれ悲観する者は皆無だった。
「よし、直ちに反転。敵に悟られぬよう我々はこのまま密林内を進んで敵を追尾し、総攻撃に気を取られて油断している敵を後方から奇襲して掻き回してやろう。行くぞ!」
我々4名の成すべき事はここに決まった。
 

Episode12 壮絶!120対3
かくして、我々は敵と一定の距離を取りつつ、密林内を自軍本部方面へと遡行した。
今まで辿って来た道と異なり、道路に近いルートは前日の雨で地面の状態は最悪、うっかり踏み出すと泥沼に足がはまってしまう事もあった為、敵に見つからないよう注意すると共に前方の進行ルートも慎重に選ばなければならなかった。
勿論自分の足元だけに気を取られて進出速度が低下しては敵の追尾もおぼつかなくなる。

軽装の故か、いつしか私は部隊前方をだいぶ先行してしまっていた。
道路上を進む敵側の移動は早く、敵が進んで行ってしまうのを足音で感じつつ私は部隊の終結を待つ為に一旦留まった。
小さなグチャグチャという音を立てつつ、1人また1人と追いついて来た。と、あれ1人いないぞ?

後ろを見てもいない。
左右を見たが動いているモノはない。
勿論、私の前にいる筈はない。

同志イノウエが行方不明になってしまっていた。
それでなくても少ない兵力が1名減ってしまうのは我々にとって痛打である。しかし彼の捜索を行っていては、それでなくても遅れ気味の攻撃の機を完全に逸してしまう。
やむなく我々は3名で、しかしもう脱落者を出さないよう各員の間隔にも注意を払いつつ進軍を開始した。

我々はまだ行軍の途中だというのに、前方が俄かに騒がしくなった。どうやら始まってしまった様だ。
本当は総攻撃の合図と共に後ろから襲いかかって大混乱に陥れるつもりだったのだが。

とにかく、一刻も早く敵に接触して交戦だ。はやる気持ちと共にとにかく進む。
音のする方を遠巻きに、敵背後と想定される方向からの接近を試みる。

ようやく敵らしき人影とその動きが見えた。ブッシュの隙間から様子を伺うと、常に数名がせわしなく右に左にと走り回っている。
移動先の右前方は村の方角、おそらく総攻撃が行われているのだろう。それではと左を伺うと、何か指示を出している声がする。大声ではないところから察するに、おそらく無線を使用しているのだろう。
どうやら我々は敵の司令部傍に到達し、そして動き回っているのは前線からの伝令の様だ。

総攻撃開始までには間に合わなかったが、120名の頂点にある敵司令部を急襲して指揮系統を混乱させれば一矢報いる事も出来よう。

この時、3名の得物は以下の通り。
 ・越南同志ーAK47
 ・同志金子ーVSR-10
 ・紅中兵ーモーゼルM712

従って、予想される敵の状況に応じた攻撃をかけねばならなかった。
最も多数の敵がいると予想されるルート・司令部前の通路を進み、側面から奇襲をかけるのは越南同志。
同志金子はその左後方から機動し、共に司令部要員と伝令を狩る。
そして私はブッシュをやぶ漕いで背後から無線連絡を取る司令官を襲う事とした。

火力優位な者の発砲を以って合図とする、の原則に則り、越南同志の斬り込みを合図に各員が敵司令部に殺到する。
私は気付かれる位まで接近して確実に仕留めるつもりで進んだ。始めは声が聞こえるだけだったがすぐに上半身が見えた。完全に攻撃正面に集中しているので、斜め後ろから接近する私には気付く様子もない。
この距離なら私の絶対必中圏だ。よし、今だ!
射撃後にすぐ沈んで他の敵兵からの反撃に備えたが、私の方に飛んでくる銃声は無い。
そろそろと頭を上げると、先ほどの司令官が白布を掲げているのが見えた。仕留めた!

どうやら、彼の周りには他に誰もいなかった様だ。
そのまま無線機まで接近してみたかったのだが、足場はブッシュやら蔦やらが絡まっておりこれ以上の接近は不可能であった(それ故、虎の子の無線機を配置し後方警戒を怠っていたのかも知れない)為、それではと激戦が予想される越南同志と同志金子の方へ助力に向かった。

前線から戻ってくる伝令の動きを注意しつつ、道路側の左手ブッシュ寄りを進む。
前方には斃れた同志達の足が。とその刹那にフルオート射撃!
ブッシュに寄り反撃を試みたが正面からのぶつかり合いでは火力の面で不利は明白、案の定私もまたここで斃れてしまった。
さて、横たわりながら周りを見るとをを、敵の司令部守備隊と思われる5ー6名がごろごろと転がって衛生兵を待っており、敵の生き残りはただ1ー2名のみ、の状況であった。
この状況ならもし我が方にもう1人いたなら、或いは全員が全自動火器を有していたなら、敵司令部の方が壊滅していた事は疑いなかった。
とはいえ、通常の軍事的常識から言ったら戦力が60%になったら「全滅」だから、その基準から言えば敵戦力の80ー90%を殲滅した我々は軍事的には大成功だったのではないだろうか。

しかし、我々が後方で壮絶な突入を遂げ敵司令部と差し違えて大戦果を揚げている間に、戦況の大勢は既に決していたのであった。
敵の総攻撃は既に終盤に差し掛かっており、司令部がその機能を喪失しても動き出した大部隊によって村は占領・蹂躙され農民は至るところで射殺か虐待されており、結局戦闘としては米帝とその傀儡側の大勝利、北越南側はここで記念撮影まで行われていたそうだ。

何故この事実を我々が知っているかというと、生き証人がいたのである。
そう、それは途中で生き別れになった同志イノウエである。

後に彼が語ったところによると、どこをどう歩いたのかとにかく自軍陣地の方へと1人進んでいた彼は村の方へと辿り着いた。
だが、その時既に遅く敵の総攻撃で村は壊滅しており、開会式の時を髣髴とさせる夥しい数の米帝とその傀儡が村に充満してそこかしこでやりたい放題をしているところであった。
結局彼はただ一人、それをブッシュの中から傍観するしかなかった。歴史の証人として。

我々挺身突入隊の面々がとりあえず戦死という事でセーフティに戻ると、そこには既に同志イノウエがいた。

「あっ貴様!」「どこで何してた?」
「恥ずかしながら帰って来てました。一足先に」

ここで彼が貴重な体験を語ってくれたお陰で、最後の戦闘で何が起きていたのか断片だった経験が繋がったのであった。

この、村を蹂躙した総攻撃を以って本日の全戦闘は終了となった。
我々は閉会式に参加の為、再び総本部方面へと移動する。
いやー良く戦った。特に午後、友軍の手薄なところを探して東奔西走、休み無く走り回り撃ちまくっていたのでおそらく運動量は普段のゲームの何倍にもなっていた事だろう。
それでもまだまだ戦える余力を持って、人参軍旗を掲げ意気揚揚と閉会式場に向う。このスタミナはやはり厨房部活動の賜物であろうか。
閉会式では若干名の表彰が行われ、我等がソ連軍事顧問同志もその対象となってマルイのガバを受領していた。あー欲しいなー。
そしてオーラス、全体での記念写真
我が人参解放軍遠征隊は写真右手前あたりに人参紅旗を持って写っているので、公式HPまたコンバットマガジンにて確認してくれたまへ。

さてさて、全て終わって戻ってみたがやっぱり当初予定の北越南側本部テントはやっぱり水没したままでした。
我々はここで水没テントをバックに典型的お昇りさん記念写真を撮ってもらい、遠征の帰途についたのであった。

(完)



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