人参軍を震撼させた事件ファイルA「五・十」軍旗騒動

2015/5/10


2015年7月14日
筆・熊翔武(歴史家)


2015年5月、川越ネットワーク(以下KNC)と行われた戦いは数々のエピソードを生み、又当時の人参解放軍(以下人参軍)の状況を読み解く上でも、象徴的な題材といえる。

では、この戦いで人参軍はいかに行動し、又状況や問題点等はどうだったのか、戦闘の推移と共に見ていこうと思う。

<主役達>
2014年末から人参軍は新入隊ラッシュに湧いており、それは2015年に入ってからも変わらなかった。
これにより人参軍はその戦力を倍増させたが、同時に多くの問題も噴出することになった。
厨房部を含む後方支援体制の見直し、輸送車両の不足、そして新隊員たちの練度である。

今回の主役の1人である若同志(人参軍史上、「若同志」は2人おり、こちらはβ若同志又は若同志マーク2と呼ばれていた)も、この時期に入った隊員だが、その積極さ、献身的行動から早くも頭角を現しつつあった。

それに対し、ノルン隊員もまた注目の新人の1人だった。当時は人参軍でも数少ない「女性」隊員だった事もあるが、戦闘においてもソビエト軍よろしき粘り強さを見せて屡々戦線の崩壊を食い止める等、戦力としても期待を寄せられていた。

この2名に体験入隊で参加していたA女史を加えた3名が、今回の主役を務めることとなる。

<人参軍の状況と紅中兵特別命令>
この日、人参軍の動員数は7人。
上記3名に加え、紅中兵主席(以下主席)、林武明(リン・ウーミン)当家、金子領導員、ヤマヨシ隊員(人参軍としては新規入隊であるが、過去の実戦経験からベテラン勢の1人として数えられていた)を動員しており、士官・下士官クラスが比較的多く存在し、指揮系統が明確になっていた事が戦闘において大きく影響した。

そして、作戦レベルに影響を及ぼしたのが「紅中兵特別命令」であった。
開戦にあたりミタカ大本営より発令されたこの指示内容は、以下の通りである。

「本戦闘ニ参加セル女性隊員ガ確タル戦果ヲ挙ゲル様ニ総員ハ最大限配慮ヲ行イ、以ッテ人参軍ノ勇名ヲ内外ニ示スベシ」

元々は主席の発言が発端だが、宣伝材料を欲していた上層部の思惑が絡んで絶対命令へと進化し、午前中には既に関係者に密命が下っていたと言われている。

そしてこれにより、人参軍は女性隊員に戦果(=敵フラッグ)を取らせるべく、敵陣への強襲を繰り返す事となる。

<前半戦/森林地区突破戦>
KNCの戦場は大きく3管区に分かれている。
セーフティエリアから近い順に

「森林地区」(草木が生い茂る地区。視界が悪い上、機動にも制約が付く)
「狙撃街道」(太めの木が乱立している地区。機動しやすい反面、お互いの動向が筒抜けになりやすい)
「塹壕と竹林」(さらに奥、狙撃街道と平行に伸びている大きな溝とその奥に広がる竹林地区)

となっている。

序盤、人参軍は比較的動きやすい狙撃街道から攻撃を行ったが、損害の割には進めなかった。
この地区からの突破は難しいと判断した主席は少々大胆な策に打って出た。

すなわち、森林地区からの強行突破である。

作戦としては、「人参軍全兵をもって森林地区を一気に突破。敵フラッグ後方に回り込み、強襲を行う」とされていたが、これには反対意見もあった。
金子領導員は「もし伏兵あれば進撃ままならず」と反対した。
それに対し「多少の伏兵は数を以て制す」と主席はこれを制し、ここに突破作戦が行われる事となった。

そして、ここでβ若同志は大きな働きを見せることとなる。

戦闘開始のサイレンと共に森林地区へ殺到する人参軍。
その先陣を務めたのがβ若同志だった。

この戦場での経験が長い者ほど、過去に伏撃された苦い体験からその足取りは重くなりがちだったが、まだ入隊して日が浅いβ若同志には無縁であり、又このケースにおいては、それが正解だった。
結果からいえば、森林地区には敵兵はほとんどおらず、人参軍は抵抗を受ける事なく通り抜けた。
かくして作戦通り突破に成功、敵陣をあっさり陥落させた人参軍はまず1勝をモノにし、紅中兵主席が座右の銘とするパットン将軍の「大胆、大胆、常に大胆」は真理である事を実証してみせた。

<後半戦/塹壕攻防戦>
その後も森林地区からの強襲を何度か成功させていた人参軍だが、全体的には一進一退といった中、午前が終わり午後最初に行われたのが塹壕攻防戦(攻撃と守備に分かれ、守備側は塹壕とその周辺で攻撃側を迎撃する戦い)だった。

ここで守備側を担当する事となった人参軍は、作戦として隊を2つに分けた。
主力部隊は塹壕沿いに配置、正面から来る敵に対し濃密な火力を発揮できる様な体制を敷いた。
それとは別に少数の兵を脇の草陰に置き、側面から回ってくる敵に対する控えとした。
そして主力部隊の一部として塹壕にいた新人達は、ここでも獅子奮迅の働きを見せる事となる。

戦闘開始と共に殺到する敵に銃弾を浴びせる人参軍。
しかし開始から10分ほど経過した時、林当家が撃たれ戦死。
そのすぐ後に主席も続く事となり、主力部隊の指揮官は壊滅してしまう。万事休すかと思われたが、ここで新人達は想像以上の粘りを見せる。
元々持久力の高いノルン隊員に加え、β若同志も残存兵員をよく纏め上げた結果、KNCの猛攻に耐え防衛は成功する。

この戦いで目立った働きをしたβ若同志は前線だけでなく、ミタカからも評価される事となった。

<最終戦>
その後の戦闘でも幾度かの勝利を重ねていた人参軍だが、「紅中兵特別命令」は未だ達成できていなかった。
そしてこの悲願が達成されぬ内に、最後の戦いを迎えつつあった。

だが、紅中兵主席は諦めるどころか「ラスト・バトル」こそ最大のチャンスと捉えていた。

「敵は撤兵直前で浮き足だっている。この機を突いて今こそもう一度強襲をかけ、勇名を示すべし」

森林地区からの突破攻撃、これを行い今度こそ女性隊員によるフラッグゲットを実現させる。
隊員一同、決意を新たにした。

最終戦における作戦は以下の通りとなった。
まず人参軍の全兵力を以って森林地区へ急進する。
その後、隊を2つに分け別動隊(林当家、ヤマヨシ隊員)は中間地点で森林から狙撃街道へ進出、陽動を行う。
本隊(残りの全員)は森林をそのまま突破、敵フラッグの後方に展開の後、フラッグへの攻勢を行う。

・・・と配置が決まり、乾坤一擲の作戦はサイレンと共に開始された。

開始と同時に一糸乱れる行動で作戦通りに展開、さしたる抵抗も受けず各隊は想定より早く配置についた。
そしていち早く敵陣周辺に到達した林当家は、主席の看破通り守備が皆無である事を確認すると、すぐさま本隊に突撃への転移を促した。

森林を突破し終えた主席はこの報に接し直ちに号令、本隊は敵フラッグ目指し殺到すると易々と周辺を制圧した。
ベテラン勢が周辺警戒を固める中、β若同志とA女史がフラッグ目指して走り込む。

この時、誰もが特別命令の完遂を、悲願の達成を確信していた。
そう、このままβ若同志がフラッグを通過し周辺警戒に当たり、後に続くA女史がフラッグを取る、と・・・

しかしβ若同志はフラッグを通り過ぎ・・・はせず、そのまま自ら取ってしまう。

この日最後の戦いは一応、人参軍の勝利で幕を閉じた。
そして同時にこれは「軍旗騒動」の幕開けともなった。

<軍旗騒動>
まず現場では失態に気付いたβ若同志がすぐさま主席の元に出頭、謝罪弁解を行った(もっとも、主席はショックのあまり、放心状態であったと伝えられる)。

だが、新進気鋭の新人達の伸張に脅威を抱いていた金子領導員は、これを冷静に未来の政敵を潰すチャンスと捉え、ミタカ大本営に報告を行ったことにより、この1件は上層部にも知れるところとなった。

しかし、結論から言えばβ若同志に対する処罰はほとんど無かったのである。

本人に悪意はなかった事、また彼自身がこの日だけでも数々の手柄を上げていた事もあり、ミタカの上層部は冷静にこれらを勘案、かくして彼は特別責任を問われなかった。

もっとも、一報を聞いた時点で激怒していた諸煩総司令は別であり、これが為にβ若同志はしばらくの間、総司令への謁見を許されなかったと伝わっている。

<総括>
今回の戦いにおいて、人参軍はほぼ半数が初心者という特異な状況にも関わらず、再三に渡り想像以上の戦果を上げる事ができた。
戦術的には敵のウイークポイントを看破しこれを度々突けた点、又組織的には指揮系統が明確で各員が指示通り動けた点、そして個人レベルでは各員の献身的積極性によって、低い練度ながら高い行動力を発揮する事ができた点が、この戦果に繋がったと思われる。

この戦いはゲーマー個々の「練度」や「数」だけでは無く、「組織力」も重要なファクターである事を示す一例となったのであった。

 

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