人参解放軍、初の中隊編成
2010/12/12


2010年12月12日 福生●●橋フィールド
参戦数 約90名 うち人参解放軍参加 9名
筆:紅中兵


この日、空は晴れ渡るも気温は低く、冬場のゲーム典型的な様相をフィールドは示していた。

去る11月に人参解放軍では入隊志願や体験入隊が相次ぎ、その全員が正規隊員となって参戦したこの日のゲーム、ゲストとか友好チームとか体験入隊とかではなく、全員が人参解放軍正規メンバーとして9人が集合する事となった。

これだけで普通ならそこそこの兵力数な筈なのだが、この日のゲームは参加人数90名超。我々はそれでも1割でしかなかったのである。

とはいえ、その9名が有機的に行動出来たら戦況には大きな影響を与える事が出来る。

単に頭数だけの烏合の衆にならないよう、私は部隊を3名づつ3個小隊編成にした。

その編成は以下の通り:
同志砂糖人・同志メガトそして同志金子のベテラン3名を1隊とし、第三小隊として別働作戦や迂回遊撃を行える打撃部隊を編成。
更にこの部隊は残り1名になっても十分任務を達成出来るだけの強者揃いだ。

次に、この日正規メンバーとなった同志ジョン・同志×(カケル)、そしてお馴染み赤口のカタヤンの人参解放軍ニューフェイス組にて1隊を編成。
彼等は人参解放軍への参入こそ最近だが、誰一人として初心者っぽいチキン振りや銃の扱いに慣れないなんて無作法な者は誰もいない。
通常のゲーマーとして一定の水準を有しており、しかも総員が電動長物を有し火力の点で優れている
これを第二小隊として火力支援及び決戦兵力として運用する事とした。

そして残りの同志達は我と共に第一小隊を編成。
紅中兵直接指揮下で攻撃・防御・潜入と何でもこなす万能部隊として運用する。

運よく無線機も3台持参していた事から、各小隊に1台づつ渡しこれで必要に応じ連絡をとる事も出来る。
そしてこの日1日は、上記の3個小隊による中隊編成にて戦った。

ハイライト戦闘を幾つか挙げてみる。

その1:
同志金子の建策により3小隊の迂回作戦を実施する事とした我々は、以下の様な作戦を立てた。
3小隊→フィールド中央のメインストリートから左迂回路に入り、左手よりフラッグを目指す。
1小隊・2小隊→すぐに渡河し平野を横切り、丘を奪取。
          その後、山上に敵がいなければそのまま隠密進攻しフラッグ裏手より敵フラッグ守備隊を襲撃。
          もし山上に敵がある時は両小隊にて制圧し、フラッグ守備隊の注意を引き、3小隊の進攻を容易ならしめる。

そして実行。スタート位置はフィールド奥のフラッグから。
2小隊→当初の作戦通り順調に進むも、山の周辺にいた敵は危機を感じいち早く山上に陣取った。
     しかし2小隊は彼等と壮烈な銃撃戦を展開。善戦するも2名戦死。
1小隊→進攻途中で転倒者続出(足場が悪かった)し、2小隊の進攻に追従出来ぬ状態となり、丘に上がる前に山上の敵と交戦状態に突入。
     ちょうど2小隊を後方から支援する様な形となり、どうにか山上の敵を駆逐したところで2小隊生き残りと合流。
     山上まで到達するも、異変を知り迎撃の為に山の麓に集中して来た敵及び山の右手に回り込んできた味方の誤射によりそれ以上の進出が出来ぬまま時間切れ。
3小隊→迂回路途中で全員壮絶な戦死を遂げた。
 

その2:
今度はフィールド手前フラッグよりの開始だ。
この場合、進攻ルート沿いに小川があり銃弾は飛び交うが渡河地点は限られる為、戦力の行き来は難しい。
その為、川沿いに1小隊づつを配置する以下の様なフォーメーションによる進攻を計画した。
3小隊→小川の手前を進行。
2小隊→小川の左を進行。
1小隊→一旦山上に上がって敵情偵察と2小隊・3小隊の前進を援護。両小隊前進後は支援部隊として後続する。

そして戦闘開始。
ルート取りのしやすい3小隊は計画通り、ブッシュの中を消えていった。
しかし、川向こうでは敵軍の快速部隊が山向こうの平野を駆け抜け、丘に上陸。
これを放置すると我々の進攻と入れ違いにフラッグを侵される危険がある為、まずこの排除を優先として1小隊は山上から射撃にて足止めし、2小隊を丘に上げて進ませ敵を追撃することとした。
やがて2小隊に追われ、敵快速部隊は損害を出しながら丘を後退していく。
1小隊の射程外まで出てしまった為、1小隊を山から下ろし平野側から進ませ、2小隊と共に敵を包囲させた。
この圧迫により敵は更に損害を重ね、残敵1名になったので私は1小隊のみに追撃を続行させ、2小隊は転進し当初計画の小川沿いに進攻を開始させた。

地形を利用し激しく抵抗する残敵だが、1小隊は確実にこれを追い詰め撃破、2小隊に続く。
しかしようやく3小隊が揃って作戦が遂行できるようになったのだが、それを伝えようといくら呼びかけても3小隊との連絡が取れない。
(戦後、この時点では既に全滅していた事が判明)

仕方が無いので2小隊及び1小隊にて相互援護しつつ川沿いに進攻を行う。
川手前部隊がいない為、敵の抵抗が薄い地点を探りながら前進。
やがて、敵抵抗が軽微なフラッグ後方より渡河し、敵のフラッグ守備隊と交戦が開始されたところで惜しくも時間切れとなりゲーム終了。

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さすがに敵も50名近くいると中々隙を突いたり手薄なところを突破したり、というのは難しく、ごく一部の足の速いのが進出して足止めと索敵を仕掛けてきたりするのでこれらを如何に排除するか、というところから始めなければならずこの辺が2小隊・3小隊指揮官にはまだ難しかった様だ。
とはいえ人参解放軍初の中隊編成行動で、9名が統一指揮の下に作戦を遂行していく様は壮観であった。

友好チームだと損害に怯えて後退してしまう様な局面でも我が人参解放軍同志達は全滅するまで任務遂行に邁進し、「チームとしての勝利」を一丸となって追求出来たという事は大きい。

今後は軍旗も有効に活用し、我が人参軍の存在を戦場で更に際立たせたいと思った1戦であった。
 
 



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