第十次上海事変でGO! ー復活のKー

2015/5/2

2015年5月2日、今回で10回目となる人参軍主催イベント戦、「上海戦でGO!」が今年も賑々しく開催された。
今回は総勢14名、各陣営2分隊を編成してのバランス良い戦力配分となったが、さて戦闘の推移は如何だったか。


・第一陣:激突!ワイルドスピードK
人参画報読者諸氏並びに参戦者はご存じの様に、初回は日中双方にとっての「宝物」がフィールドに存在する。
これを確保し無事戦場から離脱出来れば勝利となり、次のゲームで多大なアドバンテージを得る事が出来る。

今回も自陣営にとってのミッション達成用件となる

 ・蒋介石の隠し金塊ー中国軍
 ・北京原人の頭蓋骨ー日本軍

を巡っての激突が開始された。

毎回出遅れてはうまうまと宝物奪取を許してしまっている我々は、今回こそはと火力に長ける第二分隊を後詰めに、第一分隊が猛攻をかける。

突出する敵前衛を発見、早い!

ハンドガン1丁で臆する事なく殴り込んでくるその姿は・・・

チーム「武士」・伝説のゲーマー、コバ殿ではないか!
この日、10年の沈黙を破って前線に姿を現したにも関わらず、その勇姿は往年のまま変わらない。

今は無きインドアフィールド「オフィスムーン」で何度も繰り返された往年の対決が今、時と場所を変え再び再現されたのである。

気がつけば、お互いに因縁の対決を勝利で飾ろうとどちらも友軍から突出してしまっていた。
他者の手が届かない別次元のフィールドで、我々は戦っていたのである。

お互いにセミオートハンドガンなのだが、猛烈な弾の応酬が周辺に響き渡る。

「次に半身を出したらシトメてやる」

気がつけば自分の事は棚に上げて、身を曝しコバ殿の次の一手を封じんとしていた私に、そのコバ殿から魂の1弾が飛来した。

「しまった!ヒット!」

だが、救援可能な友軍はまだ後方だ。
躊躇無く飛び出してくるコバ殿。

「てぇい、頂きっ!」

手刀を見舞われ、私はヤスクニ行きに。
しかし、2階を進んでいた第二分隊はこの時前線に到着、鮮やかに紅中兵を葬り去ったコバ殿は直後に4方から銃弾を浴び蜂の巣に。
しかもそこを紅中兵救援に駆けつけた第一分隊によってトドメをさされ、ヤスクニ行き2号と相成った。

「ヒヒヒィ、ヤられちまったよ!」

ヤスクニフラッグで弾込めをしようとしたところに、満面の笑顔のコバ殿が到着。
期せずしてオフィスムーン因縁のライバルはリトル上海で再会したのであった。

さて、戦況はこんな事している間にコバ殿を追って進出した巴さんが北京原人の頭蓋骨を発見、とっとと後方に持ち帰り今回もまた日本軍サイドに貴重なアドバンテージをもたらしたのであった。

・第二陣:誰もが怯える「影」・・・
さて、第一戦で見事宝物の後方輸送に成功した日本軍はこのゲームで分隊の復活回数5割増しの恩恵を受ける事になった。
という事は、中国軍陣営としては5割多く敵分隊を全滅に追いやらないといけない。

「バラバラとヒットー復活を繰り返させ消耗戦に陥るのではなく、1分隊ずつ確実に全滅させ撃破数を上げていこう」

私は各分隊に作戦方針を伝える。
そして、上海戦の実質本格戦闘ともいうべき第2戦が開始された。

各隊とも、我が方針を念頭にヒットを取ったら敵軍の救援を退け確実に「ヤスクニ送り」にしていく。
分隊メンバーの消耗は即ち戦力ダウンに繋がる為、日本軍サイドはみる間に縮小していった。

そんな中、短騎暴れ回っていたのがチーム「武士」筆頭の巴さんだ。
前回の車夫、今回はNINJYA スレイヤーズで登場し、これまた中国軍サイドの最大の脅威となっていた。
「作戦は奇を以て尊しとすべし」の通り、あり得ないような隙間に潜み想定外の反撃で次々と中国軍サイドを恐怖のうちにヤスクニ送りにしていく。

やがて、フィールドにいるのは日本軍サイドは巴さん1名だけとなった。
一方の中国軍サイドは分隊復活を経て2個分隊が健在。
しかし、この1名がとにかく見つからない。
本来刈るべき我々が、巴さんの影に怯え、行動も鈍りがちとなる。

階段の下・ちょっとした暗がり、そんなまさかと思うところに潜んでいる。油断せず確実にクリアリングせよ!」

言ってることだけ聞いてると家中で時々見かける某油っこい虫系の様だが、実際に手痛い反撃を受けた者なら納得の警戒ポイントである。
恐竜の時代から生き残ってきた某虫の様なしぶとさを以て粘る巴さんも、2個分隊挙げての家捜しには抗しきれず、倒されても即復活の数を以て我々はこの苦闘を乗り切り、1勝を挙げたのであった。

・第三陣:無慈悲撃ち龍玉戦
2戦目終了時点で既にヘトヘトな各員、ここで長めの休憩をとって恒例の茶菓のサービス。
今回はウォータージャグに氷水を作って飲み放題としたが、おりよくこの日は5月だというのに最高気温27度と夏日を記録、参加者からは大好評であった。

そして今回は、明るいうちにと集合しての記念写真、また皆さんお待ちかねの記念品の贈呈も揃っているうちにってことで一気に行った。
毎年、ギリギリまで戦っちゃうから会場の撤収と各自の片づけと交錯する中の集合・配布ってバッタバタになってしまってた事の改善点だ。
 
大金か重要書類でも入っていそうな箱に収まるのは参加記念の勲章、本戦に参加すればだれでも叙勲されるのである。

 

さて、記念品配布後の1戦はこれまた上海戦でおなじみの「ドラゴンボール戦」だ。
これは、まず通常の交戦を行うが分隊単位の復活は無し。
ただし、戦闘中にリトル上海に散らばる「ドラゴンボール」を発見したら確保。
片側陣営が総ヤスクニ送りになったら、「ドラゴンボール!」の掛け声と共にリトル上海に残留する部隊は全員が敵同士となり最後の1人になるまでレザボア・ドッグスしあうというものである。

さていつもの様に戦闘は開始され、我々は猛烈な砲火の元、交戦を続けた。

・・・が、ふと気が付くと日本軍陣営の姿がない。
とはいえ、巴さんがまたその辺に潜んでいて、という事もない訳ではないだろう。
私はこの時、自分の所属する第一分隊ではなく第二分隊のそばにいたので、いずれにせよヒット時の復活も望めない。
自分隊を探しつつ巴さんの影を警戒しようとふと建物1つ分ほど友軍から離れたその時、無慈悲な声が響く。

「ドラゴンボール!」

ややや!
静まっていた戦場が、再び銃声で沸き立つ。
そこかしこで上がるヒットコール。

私は1つ向こうのビル、4行倉庫2階に半身を遮蔽物から上げているかつての友軍を発見、モーゼルが火を噴く。
討ち取った!
しかしすぐまた別の人影が。
こやつもか!

少々距離もあり、何か言おうとしていた様だがよく聞き取れずとにかくヒットコールではない。

上海戦も3戦目となり、完全に闘争本能に火が付いていた私はヒットコールだけを求め機械的にトリガーを引きまくっていた。

ダン、ダン、ダン、ダン、ダン・・・

かくして2名は闇に沈んだ。

(後に聞いた話では、「ちょっと待て、まずは話し合おう」と言おうとしていたが、微塵の躊躇いもなく銃弾で回答が返って来て、なす術もなく昇天したとの事)

その後もかつての仲間だった今は敵を求め、リトル上海を移動する。

・・・いない。足音もしない。

これは、待ちに入ったようだ。

まずいな。だが、どちらかが攻勢に出ないと戦況は動かないし、相手が動かない以上は私が動くしかない。

リトル上海3/4は探索しつくし、残すは左隅の楽宮旅社周辺のみ。
上海銀行2階から近づく。

暗闇から突然の発砲音!
だが、弾は飛んでこなかった。

大慌てで逃げいてくその姿は、赤口のカタヤン!
2連覇を目指したか。しかし、ZB−26は既に弾切れでコッキングトカレフだけでは勝負あった。
モーゼルで仕留める。

彼の弾を拾い、我が掌中のドラゴンボールは4個になった。
しかし、あと3個が見つからない。
さっきから敵と一緒にドラゴンボールも探索してはいたのだが、敵から得た以外には1玉も得られず。
時間ばかりが過ぎていく。

やむを得ない。時間切れだ。
ヤスクニへゲーム終了を告げ、本戦は一旦終了。

・・・そういう訳で、7つ揃わなかったので景品は出ませんでした。
次回お楽しみに!

・第四ー六陣:そして珠江の落日
さて、大休憩とドラゴンボール戦を経て、更にリトル上海の激闘は続く。

前後するが、今回の戦闘序列をみてみよう。日本軍サイドは本イベントの日本軍側幹事であるツ号殿の百式短機関銃を分隊支援に、現地召集の居留地自警団で編成する第一分隊。

第二分隊は先述の巴さん率いるチーム「武士」で構成する1分隊だ。
こちらは火力も装備も連携もバラバラながら、1人1人が1分隊以上に強いという強力な布陣。

一方の中国軍陣営は、我が人参軍メンバーを2分し、更に第二分隊にはチーム「病」ロバート議長を迎えるという現有戦力出し切っての臨戦態勢だ。
 

今回特筆すべきは、中国軍は各分隊に軽機(全てZB−26)を配備していた事で、史実に則ったこの編成には少なからず満足、ただし戦況はどうだったかというと一進一退で、4戦目日軍勝利・5戦目中軍勝利といい感じでの攻防が展開された。

   

5戦目終えて時間は18時5分前。
フィールドは18時30分で終了。
さて、どうする?

「15分一本勝負、時間限界まで楽しみましょう!戦闘開始!」

かくして、最後の最後まで激しく銃弾飛び交うリトル上海なのであった。

皆さん、今回もお疲れさまでした。


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