六・六事変 ー沈黙の上海ー(第五次上海事変でGO!)

2010/6/6


上海事変でGO!の中心的火器2種



人参解放軍恒例の低火力インドア戦「上海事変でGO!」も早いものでもう5回目の開催となった。
前回はちょっと日本軍が後退・再編中であったので国共内戦モードに入っていたが、今回奇しくもノルマンディー上陸作戦と同月同日の6月6日、リトル上海に彼等は再び現れた。そして中華人民もまた、祖国と党とそれぞれの打算(?)を胸に武器を取って立ち上がったのであった。
以下はその片鱗を窺い知る貴重な記録である。

尚、今回はフォトレポート&ゲームレポート取りまとめてのご紹介となるので少々文章が多い。
まあ画像だけさらっと見てもらってもその雰囲気は伝わると思うので、読者諸兄もそれぞれの思惑を胸にお楽しみ下さい。

過去の戦闘詳報は人参日報ゲームレポート「人参サバゲ通信」を、また「上海事変でGO!」次回予定やレギュレーションはこちらの頁を参照して下さい。



戦闘前、豪華応接セットでくつろぐ国府軍将兵。
なんたって上海事変といったら大陸の主役は彼等である。


日本側の決戦兵力「棟梁」、なんちゃって三八を検閲する。
ちなみにこれは借りただけで、メインウエポンはベネリ「火掻き棒」。
一見不思議装束と思うかもしれないが実は機能的で、ものすごくトリッキーな動きにて中国側陣営を再三に渡って窮地に陥れた。
一部中国軍陣営で「ヒットコールが『アカーン』と聞こえた」という噂があったがたぶん空耳だろう。
 

今回部隊編成は日本軍1、中国軍は国府軍及び共産軍各1の3部隊で挙行された。
部隊数から行くと日本軍は不利に見えるが、人数が5名と多くかつ全自動火器は2丁まで配備可能とした為、自軍であれば誰でも負傷者の復活が可能な上に圧倒的な火力を発揮する事も出来、この点全自動火器を有しない中国軍陣営は、更に共産兵が負傷して苦しんでいても助ける事も出来ない(従って被弾を前提にした両軍連携攻撃等が取れない)等、微妙なバランスが取れてお互いに決定的勝利を掴む事がかなり困難であった。

まず第1戦は1400(午後2時。以下同様)に開始されたのだが、「部隊が4回全滅したら終わり」の勝利条件は1時間経っても達成出来ず、6月初旬だというのに初夏の高温多湿な戦場ではバテバテになってヤスクニポイントから戻らない兵が続出、一旦1500にて休戦を入れる事とした。
また、この後より「勝利条件達成もしくは1時間経過」をもって戦闘終了とする事にした。

2戦目は1515に開始、さすがに2戦目は皆さん暑さ慣れしてきたのとペースが掴めて来たことにより、ここから本番スタートといった感じの本格的な戦闘が始まった。しかも、この時より棟梁の高機動型バトルが炸裂、地下足袋にて音も無く戦場を疾駆し階段下とか狭っこい部屋とか、「まさかこんなところに空間が?」という空間をフルに活用した3Dな戦闘で幾度と無く中国軍陣営を全滅寸前まで追い込んだ。
このため、戦場では棟梁を見かけると「お祭り男だ!」(いや、ちょっと違うんですけど・・・)とパニックに陥る兵もでた程。
対する中国軍陣営も棟梁及び全自動火器を優先して倒していくという戦術を展開し、日本軍を追い詰めたが双方とも戦闘終了に到る数の敵部隊殲滅には到らず、時間切れにて大休止となった。

上海戦恒例の人参解放軍による振る舞い菓子付きの休憩にて存分に英気を養った両軍は、いよいよ第3戦に突入。
今回は日本軍も百式及びMP40と短機関銃2丁の決戦火力を投入してここで1戦勝利を目指す。
対する中国軍は日本軍をシャングリラホテル2階に追い込み手榴弾による1発撃破を目論み、ここに史上幾度と無く繰り返された香格里拉大酒店(シャングリラホテル)攻防戦が今回も勃発したのである。


シャングリラホテルに立て篭もる日本兵を狙撃せんと狙う国府軍。
流石に機関銃2丁持ちは油断がならないので、他方面に気を取られている隙に狙撃で仕留めるしかない。しかもその後速攻で突入し、復活をさせようとする敵友軍をも一気に撃破しないとならないのでかなりスピーディーな展開が要求される。
火力こそ2次戦かも知れないが、この辺の戦術的な基本は現用CQBと変わらないテクニックが必要となる。

第三次事変より特別ルールに加えられた手榴弾(シャングリラホテル2階でのみ有効)だが、今回はその効果が遺憾なく発揮された。
この時のある戦闘では、まず匯豊銀行側1階から共産軍が2階窓めがけて手榴弾を投げ込んだ。1発目は壁に当たってしまい失敗するも2発目は見事室内に投擲、頑強に抵抗していた日本兵が出てくる。我々国府軍部隊はこの機を逃さす匯豊銀行2階からシャングリラホテル方面へと急行、すると向こう廊下の階段からは共産軍が上がって来て、シャングリラホテル2階の部屋は完全に包囲下に置く事が出来た。しかし日本軍は時々ドアを開けては乱射をかけて来る為、そこから先の突入が出来ない。中国側部隊は双方とも決死隊を送り込む事を試みるが、足音で感知され都度反撃を受けて死体の山を築くのみ。
この時、何度目かの突入によって日本軍が反撃の為にドアを動かした刹那、私は手榴弾をその隙間に放り込んだ。
成功!
数秒の後、2名の日本兵が爆死しここにシャングリラホテル2階は完全に制圧されたのであった。
1発で複数名を、しかも復活無しの1発死亡に追い込める手榴弾の効果を目の当たりにした一戦であった。


かくしてシャングリラホテルは制圧したものの、逃げて、いや転進していった日本兵は頑強に抵抗した。
特に遮蔽物に乏しい地上を進む中国軍部隊に全自動の嵐の如き銃弾は圧倒的ですらある。
土嚢を盾に国共合作して迎撃するが、操桿式小銃での対抗は困難を極めた。
しかもこの場合、隣で戦友が被弾しても手当てをしてやる事も出来ない。ただ「もうすぐ君の友軍が来る。それまで気をしっかり持て」と言ってやるしかないのだ。


共産軍は軽快な手槍部隊を突入させて日本軍の短機関銃を黙らせようと善戦したが、屍を晒すだけに終わった。
弾さえ切れなければ1丁で1部隊以上の火力を発揮出来る全自動火器はかほどに脅威なのである。
 

かくして3戦目も時間切れまで双方一歩も譲らない激戦が続き、休憩と水分補給の後にこの日最後の第4戦が開始された。
我が国府軍としては、「これで最後だし一回位ムチャしてみる?」という事で、会戦初頭に突撃をかます事にした。喚声を挙げつつ、各々フィールド中央を敵方面めがけて真っ直ぐに突っ込む。
が、以外や日本軍側も一気に前進を意図していたのかガチでぶつかりあったにも関わらず抵抗は予想外に弱く、何となく我々はその大半が生き残ってしまった。
こうなるととりあえず居場所を確保して通常戦闘に移行しない事にはもったいない、という生への欲望が沸いてきて、私は手前にあった横倒しにされて積み上げられている木製の巨大リールによじ登る。
一部の板が外され、中は小部屋の様になっている。これは待ち伏せにもってこいだ。
早速進入して敵側を伺う。すると、すぐ隣にある同じ様な巨大リール部屋からMP40の銃身が・・・
「敵だ!」
そのままじっと動きを見ていると、ゆっくりと銃身がせり出してくる。
如何に近距離とはいえ、さすがにバレルに当てるのはキツイのでバレルの付け根、チャンバーというかマガジンハウジング部が露出されるのを待ち、そこに照準をつけて我がモーゼルのトリガーを引く。
「ヒット!」何か派手にコールが帰ってきたと思ったら、銃本体ではなく持ってた手の方に直撃したと戦後知る事となった。
しかし、敵も全く同じことを考えていたとは・・・

さて、そんなこんなで強烈な1発なんかもあったが結局第4戦も時間切れ、この日は1度も勝利条件達成による終了を迎えられない程に日中両陣営とも死闘を続けたが、かくして第五次上海事変も終焉の時が迫ってきた。


お約束の全軍整列、ラグビーで言うところの「ノーサイド」である。
いつもながらすごいメンツが集まっているものだ。

・・・・
さて、お待ちかねの記念品贈呈である。受け取り方も3者3様なのはご愛嬌。
もちろん、中身は皆同じな事はいうまでもない。


「そら、受け取んな」「しゃーねーな、もらってやっか」なんか偉そうなのは壮絶な戦死によって2階級特進し「大棟梁」になったせいらしいが真相は闇の中である。


ラストはお約束の記念写真。最近顔出しうるさくなってきたので画質を落としてあります(黒線とかモザイクとかはどうもちょっと、なので)が、もし気になる方いましたら言って下さいまし。然るべき処置を施しますので(他の写真も同様です)。
それはそれと、やっぱヒストリカル戦はこうして集まった時のインパクトが大で良いですね。
とはいえ、「上海事変でGO!」は私服でも全然OKなんですよ。ほら棟梁みたいに。


ラストおまけ。
帰りの道中、前を走るバスのナンバーが何とコルトのガバメント。
これは天の祝福か。


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