ベトナムなのに寒かった!ーviet vietしま戦か2008レポート 2008/4/20
昨年に引き続き、今回もまた「ベトベトしま戦か」に参戦して来た。
まあ前回ほどネタに満ち溢れている訳でもないが、今回も若干の画像があるのでこれを見ながら此度の戦を振り返ってみたい。
尚、例によって人参日報ゲームレポート「人参サバゲ通信」の方にレポートが掲載されているのでこちらも一読して欲しい。
例によって開始前のごちゃごちゃ感など。
何か北越側少ないなーと思っていたら、その通りだった事が後に判明する。
開戦前、集結せる北越正規軍部隊。
1部隊ではない。正規軍はこれで全てである。
こちらは黒服部隊。
今回は何故かこちらの方が数が多く、正規軍の約2倍であった。
ただし戦闘中は別行動だった為、彼らがどこで何をしていたか詳細は不明である。
捕虜が来た。
例によって晒し者である。「死して虜囚の辱めを受けず」とはよく言ったものだ。
撮影後の彼らは何となくその辺で「現地処理」されていた。。
口の固い米軍特殊部隊員に尋問を行う同志金子。
手にしたグリップから音を立てて飛び出すのは・・・櫛。
「大人しく吐かないと、仲間と会っても気が付かない髪型にしちまうゾ」「ひえーそれだけは勘弁を」
最後のテト攻勢前、集結した北越側全部隊。
ドロドロ感が良い味出してます(これは演習にあらず)。
陥落直後のサイゴン。
抵抗は軽微で、我々が砲を抱えて乗り込んだ時は既にこの状態であった。
治療途中で遺棄された米軍負傷者。
この方は何時の間にか、自力で歩いて後退していきました。(根性!)
早くも農作業を始めた子連れ越南農民。
遠巻きに眺めているのは反撃前で展開中の米軍である。
彼はこの後、「危険である」という事で北越政治局員によって退去させられていた。
テト攻勢、米軍の反撃。
後方のテント状の建物が米大使館。
米軍の奪回直後の為、まだ解放戦線旗が翻っているという迫真の一枚。
これは作戦終了後の表彰式の様子。
南北参加者のうち戦死回数が最も多い者に賞品が出たほか、上記の農民も特別賞をもらっていた。
ラストの記念撮影。
今回我が人参解放軍は前列中央やや右寄りにいます。
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